2014年11月24日月曜日

第55回:カンファレンスin New Zealand

先週、ニュージーランドで行われたカンファレンスに参加してきた。今回は、頭蓋オステオパシーの中でも少し特殊なバイオダイナミックという手技の勉強をしてきた。

ウエイティングリストに登録していたら3週間前に連絡が来て、そこから急いでいろいろ手配。

今回の会場「Mana Retreat Centre」は、オークランド空港から2時間ほど離れたところにあるのでレンタカーで行くことに。
空港から20分ほど走るとのどかな田舎道。馬、牛、ヒツジ。最後の30分は海沿いの細い道を走る。気持ちがいい。

バイオダイナミックオステオパシーは、頭蓋オステオパシーの創始者Drサザーランドが頭蓋の理論を深めていく中で、最終的にたどり着いたコンセプト。バイオダイナミックとは言っていなくてもDrフライマンやDrベッカーなどもこのコンセプトを大切にしていたようだ。

このテクニックの全て紹介するのは難しいので、今回も、このセミナーで印象に残った言葉を紹介させて頂きたいと思う。

「身体は、ニュートラルに戻りたがっている。」
ニュートラル。中間。車のギアが「N」に入っている状態。

私も、今回セミナーに参加して、いかに自分がニュートラルな状態を忘れていたかを感じた。
肉体的にも、精神的にもニュートラル。
常に、ニュートラルを感じられるようにしておけば体調を崩すことはない。
ストレス社会と言われる現代社会。 忙しさ、ストレスのなかで生きていると、ニュートラルに戻れなくなってしまう。そして、いつのまにか体調を崩す。

では、ニュートラルを感じるために必要なものは何かと言えば?

それは「休息」である。
「人間に最も必要なものは休息である。」
今回のセミナーはこの言葉から始まった。

日本人は、休み方がうまくないと言われている。長期休暇を取るのも難しいし、お休みも目一杯動いてしまう。とにかく、じっとしているのが苦手。
休みでもどこか焦っている。気持ちまでリラックスできないという人は多いのではないだろうか。
旅行は2泊で十分。海外ではびっくりされる感覚。
でも、2週間も休みを取ると疲れてしまう。これは疲れているのではなく、ゆっくりニュートラルに戻り始めている。だから、普段感じない疲労を感じることができるようになっているだけ。

子供は休息を取る名人である。無意識に行うことができる。
たくさんの友達と遊んでいても、急に一人輪から離れ静かにしている子供をみたことはがあるのでは?
自分で、受け入れられる情報がいっぱいになったと感じたら休息を取る。
リフレッシュして再び輪のなかに!

何かに夢中で外からの声が聞こえなくなってしまうのもこれに近い感覚。外からの情報をシャットアウトしている。
リフレッシュするまで待ってあげられると良いかも。

「正常の理解」
技術とは、その人の「正常な状態」の理解の深さに比例する。Drスティル。

治療家は、常に異常を探すことはするが、正常な部位を見ることをしないことが多い。
しかし、まずは正常とは何かを理解しなくてはならない。
正常を知っておけば、何を治療すれば良いかがわかる。
正常から逸脱した状態を元に戻せば良い。
不必要な治療がなくなる。

正常って?
異常って?
幸せって?

年がら年中治療を受けている人は、正常を逸脱している前に、ニュートラルに戻れなくなっている可能性がある。そこでゆったりできれば良いのだがさらにグイグイ、バキバキされてしまうと迷路に陥る。治療が新たな患者を生む。

Drサザーランドは、正常について以下のように述べている。
「平穏と協調の感覚」
心身ともに穏やかで、身体の全ての部が協調している状態。
これは、心と身体が周りや自然と協調していることも含んでいるのではないかと思う。

どの身体にも必ず正常はある。少しその正常に注目してみると、患者さんが抱えている問題が自然に見えてくるかもしれない。

「ニュートラル」「休息」「正常」。

「ストレス「多忙」「病気」。

元気なときはこれらに無頓着でも良いのかもしれない。でも、病気になったら生活を見直さなくてはならない。
同じことをしていたら、それに対する本人の意識が変わらない限り治らない。

身体はもともと身体を治すメカニズムを有している。それがしっかり働ける状態にあれば健康は保たれる。

忙しいときほど「ニュートラル」「休息」「正常」を意識してみよう。

今回は、セミナーで勉強しながら、自分自身が治療されてきたようだ。
行く前は、もっとアクセスしやすいところでやってくれればいいのにと思っていたが、 帰ってきたら身体にエネルギーを感じる。

大自然のなかでの生活。食事はベジタリアン。テレビやインターネットはない。

夜は、静寂。人間が聞き取れる中で一番小さな音だけが聞こえる。ほぼ無音。

時間というか空気がゆっくり流れているような気がする。
自分との会話も良くできた。

たまに、静寂に身をおいて身体の声を聴いてみることをお勧めしたい。
何かしらの変化を感じることができるだろう。

治療家の先生が、治療後に疲労感を感じるのは、治療のやり方に何かしらの問題があるとも言っていた。
日々、疲れている先生は、自分の治療を見直してみても良いかもしれない。

オステオパシーには偉大な先人がいる。
常に、先をみせて頂ける。本当にありがたい。
バイオダイナミックは自分の進むべき道のように感じている。


2014年10月23日木曜日

第54回:健康のためにやっていること!

先日セミナーに行ったことをお伝えさせて頂いたが、その中でもう一つ印象に残った言葉があったので紹介させて頂きたい。

それは、Maxwell先生の言葉で、

「夜に一日を振り返って今日は最高の一日だったと思ってから寝れば、健康を害することはない!!」

とのことだった。Maxwell先生は、もう70歳に近いのだろうか。
ユーモアにあふれ、やさしさに満ち溢れている。海外にでるとしばしば「人格者」という雰囲気の人に遭遇する。知識、見識、ユーモア。人としてとてもバランスが取れているように思う。ギスギスした感じや嫌味な感じはない。私もいつかそうなりたい。

話がそれて行きそうなので、本題に戻すと、一日を最高と思えるように私がやっていることを紹介させて頂きます。
1:十分な睡眠!
2:座禅・瞑想
3:運動
4:食事
5:仕事への目標
6:人間関係
7:新しい手技の勉強
8:自然を感じる
9:ネガティブな思考や感情をやり過ごす
10:分からない時は聞く。

1:十分な睡眠
「身体は寝ている時にしか治らない!」これは私が学生の時の先生の言葉。
特に、体調を崩したら無理をせずに睡眠を。身体はいつでもやるべきことを教えてくれる。
オーストラリアでは、風邪をひいて無理して学校にくるとヒンシュクを買います。周りに移すし、自身もひどくなるし。おとなしく家で寝ていてください!のようです。

2:座禅・瞑想
心穏やかに。特に治療の前に5分くらいするようにしている。
心も身体も一回リセット。
現代社会は情報が多すぎる(私には)。電話やメールも見ない日もある(良く怒られる)。
無の方が得られる情報は多いので、治療にはとても役に立つ。

3:運動
できるだけ毎日したいと思っている。別に強い強度のものではない。
5月までは柔術をやっていたのだが、ジムが閉鎖になってしまってしまった。
いまは、ケトルベルをしたり、ストレッチ。そして、週末はランニング。
無理なく続けられることが大切。でも、もう少しやらなくてはいけないかも。

4:食事
これは私の最大の課題。いかんせん小さなころから食べるのが好き。
基本は、身体が喜ぶものを食べるようにしている。なんでも過度にならなければと思ってはいる。
ファスティングを行なってみて、肉体的な空腹と、精神的な空腹の違いが分かった。
本当の空腹と習慣的な空腹。
昔は毎晩のように飲んでいたお酒もいまは月に2回程度。基本的には飲まなくても平気。
ストレスは違うことで解消できる。

5:仕事への高い目標
長期、短期の目標、そして、目の前の治療。
それぞれにきちんと向かっているかが大切。向かっていない時は、肉体的にも精神的に良くない。
身体の声を聞くようにしておくとそれを教えてくれる。身体に正直に行動を心がける。
でも、難しいぃぃぃぃ。難しくしているのは自分なんだけど。

6:人間関係
基本的には、お互いに刺激し合える関係が好き。
無理な時は無理しない。


7:新しい手技の勉強
新しいとは私にとって。最新というわけではない。オステオパシーには無数の手技がある。
それぞれの症状にさらに合った手技があるのではと、新旧、古今東西、いろいろな手技や考え方を探してみる。いつでも新しい発見がある。
新しい手技をすると新しい神経回路を構築することができる!つまり脳の活性化にも繋がる!

8:自然を感じる。
人間も自然の一部。自然の摂理に従えば、大きな問題は起こらない。
自分が自然の一部だと確認できるようにしておきたい。
そうすると、自然といろいろなことに感謝することができるようになる。

9:ネガティブな思考や感情をやり過ごす。
いつも良いことばかりではない。しかし、ネガティブな感情にひっぱられているわけにもいかない。
ネガティブな感情をいつまでも抱えていると病気になる。
そんなときは、無理せず気持ち赴くままに。
若いころに「止まない雨はない。」って患者さんが教えてくれたなぁ。

10:分からない時は聞く。
いつも自分の中に答えがあるわけではない。
最近では、父親にいろいろ教えてもらうことが多い。うちの父親は素敵で、人生の要所要所で手紙や本をプレゼントしてくれる。本にどんなメッセージがあるのかは読み終えても分からないことがあるが。最近では、一つの映画について、どのように感じたかをメールで意見交換した。深い洞察力でなるほどと感心させられる。

Extra:無理をしない。
基本的無理はしない。心が掻き立てられないことに無理はしない。
心赴くままに!

このように「適当」に生きている私の周りにも、常にいろいろなアドバイスをくれる人たちがいてくれる。
どうやら我々は人生を一人で生きているわけではないようだ。

今日は嬉しい連絡を数多く頂いた。
勉強会がためになっているという報告。
刺激になったという報告。
体調が楽になったという連絡。

おかげさまで今日も最高の一日となりそうです。

2014年10月13日月曜日

第53回:Winter School in Melbourne

先週末メルボルンで行われたセミナーに参加してきた。
これは、卒後5年以内の先生を対象に定期的に行われている。なぜ5年以内かの理由はのちほど。

40名程度の参加者がいたが、半分がビクトリア大学の卒業生、あとの半分がRMITの卒業生という構成。同級生、先輩、後輩もいたので特に緊張はない。むしろリラックス!

オーストラリア独特のゆったりした感じでセミナーは進行していく。大学の授業を思い出す。懐かしい。日本からセミナーのために来たということで、わざわざ紹介されとても歓迎してもらえた! 今回は2学年上でシンガポール人のオステオパスも来ていた。アジアのオステオ事情についても話ができた。オーストラリア人もアジアのオステオ事情には興味があるみたい。

今回のセミナーのテーマは「スティルテクニック」。

オステオパシーの創始者ATスティルが使っていた手技とその原則。
本来、創始者の手技なのでもっと記録が残っていてもよさそうなものだが、そのほとんどが火事などで消失してしまっている。

スティルが学校を始めた当初は、学校でも教えていたようだが、その難解さからいつの間にかコースからなくなった。それにかわるようにHVLAなどの直接法がメインに教えられるようになる。 だが、スティル自体は、HVLAを授業で教えることには反対していたようだ。

こう考えてみると、創始者スティルの希望の多くはいつのまにか消えてしまっているのかも。いつの時代も創造者の想いを後世に伝えることは難しのだろう。三代続く会社があまりないのもこうした背景によるものだろうか。

オステオパシーも薬を使うようになり、エビデンスに乏しい手技は排除されていく。徐々に他の手技療法とのボーダーもなくなってきているし、アメリカでは手技そのものを用いる先生も少なくなっているようだ。政治や商売の犠牲になるその純粋性。

このセミナーは、大学教育の間に失ったであろう純粋性を取り戻すべく企画されているのだと感じた。したがって、卒後5年以内の先生に限定してるのだろう。「鉄は熱いうちに打て!」だ。オステオパスなのだからスティルの想いをきちんと理解しよう!本流は原点にあり。

日本のオステオパシーはこの点をどのように教育しているのだろう?十分な情報はあるのだろうか?

セミナーの内容はとてもわかりやすく、スティルの思想だけでなく、最新の情報もたくさん得ることができた。
先生たちは、みなとても情熱的だし、生徒もそれに負けずに情熱的!みんなプロフェッショナルとしての自分を確立している。

日本でもこのような環境をつくりたい。海外から多額のお金を使って講師を呼ぶのをありがたがっている時代がいつまでも続くことが良いとは思わない。海外のオステオパスからみると日本はアルバイトをするにはとても良い国だ。その国にしっかりとした教育制度がないことと、何よりもお金があるからだ。ATスティルが自分のテクニックを教えなかったのは、自分のモノマネをする人をつくることを嫌がったからだ。教えられることをありがたがりすぎると、そこからの思考が停止する。海外コンプレックスは終わりにして、それよりも日本のオステオパシーを確立することに力を注ぎたい。

セミナーの内容を全部お伝えすることは難しいので、セミナーのなかで心に残った2つの言葉を紹介したい。

一つは、エビデンスについて。
去年から、オーストラリアの全て大学で、頭蓋オステオパシーと骨盤METがカリキュラムから排除された。政治的な理由らしい。エビデンスがないと政府からの援助を受けずらいからだろうか。悲しい。
そんななかで今回のセミナーの主催者Maxwell先生が言った言葉がある。

「エビデンス、エビデンスというが、私が思うエビデンスとは、 治療をして患者さんがなんと言うかだ!!」。答えは患者が教えてくれる。

研究も大切ということに変わりはない。でも、手技療法において本当の意味での再現性などあるのだろうか。私は同じ手技を全く同じにできることなどない。例え、同じ患者さんにやったとしてもそれは難しい。1秒後には私も、患者さんも、周りの環境にも変化が起こる。

そして、もう一つは、ニュージーランドのオステオパスAnthony先生が言った言葉。
「Be Different. Be Very Different!!!」

君たちはカイロになりたいのか?
君たちはフィジオになりたいのか?

君たちはオステオパスだ!自分の長所をみつけろ。そして、それを信じろ!
自分が信じられる自分!

自分がやりたくない治療は断るぐらいの強気さだった。この言葉大好き!

創始者スティルも、薬の使用をやめ、手技で治療を始めた当初は家族からとても嫌がられた。
それまで仲良かった兄弟とも18年間、口をきいてもらえなかった。本を出版しようとしても家族に恥ずかしいからやめるように言われた。150年くらい前のアメリカでは手技療法というのがそれくらい特異なものだった。

それでも信念を貫いた。自分を信じて。

自分はオステオパスだ。何をすることによって人に影響を与えたいのだろう。
自分はどういう治療家になりたいのだろう。

オステオパシーとは哲学だ。オステオパスという人生だ。

身体は自然の摂理に従って動いている。自然に逆らえば当然病になる。

今回も本当に良い経験になった。それをただの経験で終わらさないように患者さんや日本のみなさんに還元していきたい。

今年もあと3か月!骨塾もあと5回!駆け抜けるぞ!

治療家に生まれて本当に幸せだ。


話は変わるが、日本の鍼灸や柔整も資格を維持させるために、年間いくつかセミナーを受講しなくてはいけないようにすればよいのではないだろうか。柔整がマッサージを中心に施術するようになり、過去の素晴らしい手技が凄い勢いで失われている。経験ある先生の多くがある程度までいくと施術すること辞めてしまう。日本でも商業によって純粋性が失われている。

経験豊かな先生が若手に教える機会を必然的に設けることができるし、お互いにいつまでもしっかり勉強していくことができる。経験ある先生は尊敬され、勉強する気がある若い先生も尊重される。結果的には業界の発展につながるのではないだろうか。

日本の柔整・鍼灸は学問・学術になろうとしている。国家資格を通すことを目標にするのではなく、きちんと勉強できる制度を整えていければ良いのではないだろうか。
 

2014年9月23日火曜日

第52回:治る?治らない?

オステオパシーは、「骨の両端の理解を深めること。」だとAT.スティルは言っている。

これには2つの意味があり、解剖をしっかり勉強して身体の隅々まで理解を深めていくということと、人間の人生(生死)への造詣を深めていくという意味が込められてている。

我々の仕事は、誰かの人生の一時期に存在する痛みや不調を治療を通して軽減させたり、なくしたりすることだとすると、いろいろ考えなくてはいけないことがある。

治癒を目標に治療するが、治癒とは何を意味するのだろう?
治癒=健康?!このイコールは成り立つのだろうか?
痛みや不調があれば、不健康?!
健康とはどういう状態?

この忙しい現代社会、不調や痛みがない人など存在するのだろうか?
痛みがあっても健康!痛みがないのに不健康!この違いは。

我々が診るなかで急性のもののほとんどは放っておいても治るだろう。身体には自然治癒力がある。
骨折・脱臼・捻挫・挫傷・打撲。よほどのことがなり限り自然に治癒する。

だが、慢性の症状はそうでない場合が多い。世の中の健康ではないと感じている人の多くが急性ではなく慢性の症状で苦しんでいるのではないだろうか。自然治癒力があるのに慢性になる?

痛みは、生命維持装置。身体は自分のなかに危険がないかを常にパトロールして回っている。
痛みはアウトプット。インプットを受け中枢神経系が作り出す。身体が危険な状況下にあると思えば、その危険から逃げるために痛みを作り出す。

そして、脳は非常にあいまいにできているので、2つの事象を1つにしてしまう。
肩が痛い。首が痛い。腰が痛い。
学校がつまらない。仕事がつらい。家庭の問題。
これらの本来別の事象が長時間継続するといつの間にか1つの問題になる。
仕事をすると腰が痛い。学校で勉強すると肩がこる。家に帰ると腰が痛い。
ストレスと痛みがくっつく瞬間。

本来、この2つの事象が1つになる前に治せるのが理想的だ。
これはパブロフの犬と同じ理屈なのだが、ベルが鳴ると食事が食べれるという回路ができてしまうと、それを2つの事象に引き離すことは容易ではない。ストレスと痛みが1つになったのを別のものだと認識させるのも簡単にはいかない。

しかし、人間の身体は非常にうまくできている。

痛みは生命維持装置。急性のはじめ(受傷時)はできるだけ早く危険か回避させるために強い痛みをだす。しかし、慢性は違う。急性ほどの緊急性はないからだ。

だから、慢性になっていくときは、短い時間の少しの痛みから始まることが多い。必ずしも怪我している必要もない。ここで適切な対応(身体が安心する行動)がとられれば痛みは治まる。しかし、適切な行動がとられないと、身体は少しづつ症状を強くしていく。

筋肉の痛み。痺れ。筋力低下。骨を破壊。不眠。心をプツリ。順番は人それぞれ。

症状が慢性になっている患者さんは、自分がそのような状態に陥っているのに気が付いていない人が多い。

身体は教えてくれている。痛みや不調を尊重するだけだ。無視すれば症状はさらに強くなる。
無視し続ければ身体は何かしらの機能を止め、壊してまでも身体が無理しないようにしてくれる。

不調や痛みの原因はわからないことが多い。特に問題の真ん中にいる人は原因をみつけるのは至難の業。あとは、気が付いているけど、その原因は変えることができないと諦めていたり、気が付かないようにしている場合もある。仕事や夫婦関係の問題などがこれに該当するだろう。どちらも変えるよりも、まずは現状を維持することを考える傾向にある。そうすると症状はより強くなる。

本当に治りたかったら、痛みを尊重するだけ。何かをしてみて、痛みや不調が軽減することは身体に良いこと、逆に強くなるものは原因に近いのかも。

常に勝者は身体だ!健康な肉体なしに何もできない。地位や名誉や財産を築いたところで健康を失えばそれまで。

痛みや不調がある時は、無理せずに立ち止まるとき。周りの人になんと言われようと無理はしてはいけない。あなたが健康を害してたからといって、身体を交換してくれる人はいない。 自分の身体は自分で守る。

理解してしまえばシンプルな痛みのシステムにも一つ難しい問題がある。それは、治りたくない人。ではなく、治ることを迷う人。

どんな状態にもメリットがある。健康にいるメリット。不健康にいるメリット。

痛みがあれば休める。痛みがあればこれをしなくてよい。痛みがあれば行かなくて済む。
鬱であれば、、、。不眠であれば、、、。ぎっくり腰であれば、、。足が痺れていれば、、。
痛みがストッパー的な役割をしてくれている。しかし、痛みがあるのは嫌だ。

子供の時、学校に行きたくなくてお腹を痛くしたり、熱を出したりと同じかな。

治療をしていくと始めに訴えていた主訴はなくなる。しかし、同時に次にある痛みを訴える。
治ろうか、治らないでいようか迷う。
治らないでいれば、痛みはあるがいままでのパターンで良い。
治そうとすると、痛みはないが、新しいパターンを構築しなくてはいけなくなる。これを大変に思っているうちは治らない。

治るには勇気と覚悟が必要。

痛みで嫌なことを回避するのではなく、はっきりと口で言えるようになると楽になる。

痛みで回避する傾向は、男の人に多いように思う。日頃からしっかり、強くいることが求められるせいか、口に出していうことが苦手なのだろうか。

治療は生き方を変えること。苦しい人生は痛みや不調で教えてくれる。そうしたら、楽な生き方をみつけ、実践する。自分の心に従うだけ。シンプル。

本人が本気で治ろうとする痛みは必ず治ります!
「本気」がキーワード!


2014年8月19日火曜日

第51回:モチベーション

我々治療家は、何かしらのきっかけがあってこの世界に入ってきている人がほとんどだろう。

家族の病気を治してくれた。
自分のケガを治してくれた。
自分も人を治したい。
あの先生みたいになりたい。

それぞれ感動的な出会いや出来事があったのでは。

私自身も、祖母が通っていた鍼灸院の先生との出会いがあってこの世界に飛び込んだ。
田舎にある鍼灸院だったが、とてつもなく人気の治療院だった。
その先生なら、「なんでも治す」と思っていた。
大学受験を前に「鍼灸をやってみれば!」とその先生に言われ、帰りの車の中で"舞い上がるような感覚"を感じるとともに、凄い先生にでもなったような気になったのを覚えている。次の日、学校で鍼灸学校の資料を探して、そのまま進学!単純。

私の中にある「治療家」のイメージは、その「何でも治す先生」だったので、必然的に私も自分は「なんでも治す先生」になるんだと思っていた。学校に入る時には、そのくらい勘違いしていて、学校を出る時には、それが確信になるくらいひどい勘違いをしていた。

いざ、臨床にでれば、そう簡単にはいかない。
私よりも上手で知識が豊富な先生がたくさんいたし、治せないことも多々あった。
それでも、確信までいった勘違いはそう簡単に変わらない!単純x2。

しかし、私も年齢を重ね、自分の実力は分かるようになってきた。
だからって、勘違いを直そうとは思わない。せっかくした勘違い。
いまは、そこに近づけるようにと日々を送っている。

「何でも治す」人に出会って、この世界に入り、「何でも治す」と勘違いし、「何でも治す」自分になろうと生きている。

あとは自分との勝負。

やるも自分、やらないのも自分。

誰も助けてはくれないし、他人の責任でもない。

そこで大切になるのが、「モチベーション」。自分で自分をモチベートする。
勝手にやる気になっているときはそのままに。
どうやってもやる気にならないときは、それなりに。
モチベーションとは気ままなもの。いつもあるわけではないが、フッと湧いてくることもある。

自分で自分に必要なことを探して、ちょっとづつ進歩する。
それ以外に方法はない。

目標があり、モチベーションがある。それを地道に続けられるか。
これは、他人に促されてするものではない。自分で継続するもの。
一度決めたことを、どれだけ継続できるか。細くなっても、ゆっくりでも継続する。

プロは、瞬間的に凄い集中力を発揮すれば良いのではなく、安定した集中力を持続させることを求められる。野球選手でもたまのホームランより、コンスタントに打つほうが良いだろう。

我々も同じ。

自然に、苦痛なく、安定して治療できるようする。

それには自分をモチベートして地道に練習するしかない。集中力を1秒でも長く続くようにする。

こうかな?こっちかな?なんでだ?疑問がモチベーション。

あの人凄いな!って、モチベーション。

こうなりたい!ってモチベーション。

うまくなりたい!ってもモチベーション。

掘り下げ、見つけて、掘り下げ、見つける。疲れたら一休み。
息切れするわけにはいかない。だから、休息も大切。

誰と勝負しているわけではない。自分との勝負。
あとちょっと、もうちょっと。

私がいるのは奥が深い世界。まだまだ奥には到達していない。見えてもいない。
一生見えないのかもしれない。本当に幸せな世界にいる。

まだまだやることはたくさんある。頑張るぞ!

先日、会社の経営をされていて、さらに、カウンセリングを勉強している方から、「自分が何か新しいことを始めようとするとき、それを躊躇させる気持ちは、恐怖や不安などと思われがちだが、深層心理では、責任が増えたり、忙しくなったりと、”凄い自分になることを望まない“という気持ちが原因になっている」と教えて頂いた。
なるほど!スーパーマンになってやる!

2014年7月12日土曜日

第50回:ドラゴンクエスト

日本の治療家の先生の熱心さはとても素晴らしい。非常に勉強熱心に感じる。
その中でも特に手技を勉強しようとする意欲が高いのではないだろうか。

オステオパシーにも無数の手技が存在する。
海外では、手技半分、理論半分くらいの割合でセミナーが存在する。
むしろ理論的なセミナーの方が多いくらい。日本では、手技のセミナーのほうが多いだろう。

手技を学ぶタイミング。
ドラゴンクエスト。

はじめはこん棒からはじまり、最後は~の剣。
レベルが上がらないと使いこなせない。

レベルが上がらないとというより、自然にそこに到達しないと最大限にその手技を使いこなせないように思う。

それぞれの手技には創始者がいる。そのお弟子さんたちがさらに発展させる。
それを習うと、創造当初の試行錯誤を飛ばして手技を使うことができる。
これは非常に素晴らしいこと。ワープしていきなり手技に行きつく。
それなりの効果も得られる。そして、多くの先生がこの効果を求める。

私は、この創造する際の試行錯誤を知りたい。
創始者の苦労や喜びの全てを感じることはできないかもしれない。
でも、どうしてこの手技をやろうと思ったのか?始めからこの形で使っていたのか?
他にも良い形があったのではないだろうか?当初の効果はどうだったのか?

いろいろ考えていれば、自然に似たような手技を使っていることがある。
効果があればそれを使っているだろうし、うまくいかないと改良を加える。
自然淘汰。日本の柔整業界は、手技に(一子相伝)神秘性を持たせたために、埋もれてしまった手技や名人が数多くいたのではないだろうか。

手技とは習うものでなく、自分で創造するもの。ATスティルの考え。
Drベッカーも「哲学、解剖、生理を勉強し理解すれば手技を創造することができる。そして、患者の身体になにが起こっているのかがわかればその手技を発展させることができる」と言っている。

このスタンスは非常に時間がかかるが、一番しっかりと成長できるのではないだろうか。

手技を知ることは、視界を狭くしてしまう可能性もある。
しかし、理論を理解すれば視界は拡がる。

このバランスをしっかりする必要がある。

ドラゴンクエストのように、力が強くなり、呪文を覚え、使える装備が増えていく!
はじめはスライムを倒すのことも大変だが、いずれボスを倒すことができる。

キャラクターによっては力が優位、他の人は呪文が強い。あるいは、バランス型。
いろいろな特徴がある。自分にあったスタイルを見つけるのが重要なこと。

全員が同じようなことをするのは管理は楽な半面、成長を止める可能性がある。
まずは、自分に合っているスタイルを知り、選ぶ。決まったら信じて進むもよし、いろいろやってみるのもよし。自分が好きなスタイルが自分に合っているとも限らない。

手技を学ぶことを否定しているわけではない。とても大切なこと。
でも、手技を活かすのはとても大変だということを知らなければならない。
手技を学んですぐに治せるわけではない。症状は改善できても治癒はできない。

オーストラリアの病院では診断、そして、どうしてその手技を選んだのかを先生と話すことはあっても、手技のやり方について話すことはほとんどない。もちろん質問すれば答えてくえるが、そこは重要ではない。知識は勉強すれば獲得できる。手技はすぐにはうまくならない。

Drフライマンも、手技のやり方を聞いても「あなたはすでにやり方を知っているでしょ?」といって答えてくれないが、どうしてその手技を選んだのかと質問するととても細かく説明してくれる。

「学校を卒業しても、オステオパシーには手技がありすぎて、どれをいつ使って良いかわからない。」という声を耳にする。この発想はとても日本的。教育システムの弊害かもしれない。

まずは、どこがどのように悪いか?本当に治すべきところはどこか?などを考え、それを治すのに最も良い方法を考え手技を選択する。

解剖学を治療に活かす。
生理学を治療に活かす。
手技を治療に活かす。

全て同じ。

手技を学んでいるというのは、知識を増やしているに過ぎない。したがって、いかに自分の治療に取り入れて行くかということが大切になる。これは解剖や生理も同じ。

手技を臨床に取り入れられないということは、解剖や生理も自分の治療に取り入れられていないのかもしれない。

治療に正解はないが、不正解はある。それは、きちんと診断せず、自分が何を治しているか分からないことだ。

手技を活かすも、そうでないのも自分次第。治せないのは手技の問題ではない。
手技を使いこなす自分になる。

いっぱい冒険をして、たくさんモンスターと戦ってレベルを上げなくては!

まずは、日本のオステオパシー業界をもっとオープンにしなくてはならない気がする。
どこかの大学で教えることはできないかな?

2014年6月18日水曜日

第49回:心と身体

オステオパシーでは、心と身体の関係をとても重要に考える。
心が、精神活動、身体活動の原動力になる。心が疲れてしまうと、この原動力が失われ、様々な機能がストップする。

痛みは身体からのサイン。痛みを作り出すことによって、身体がなんらかの危険な状況にあることを教えてくれる。

はじめは小さな痛みからはじまる。それを無視すると少し大きな痛みへと変化する。
気持ちが強い人だと、肉体に起こる症状が強くでる。身体は痛みを強くすることでなんとか身体を止めようとする。
肉体よりも気持ちの方へ症状を移すこともある。元気がでない。疲れた。つまらない。ひどくなると息苦しい。パニック。うつ。

身体からのサインということに変わりはない。それが肉体にでるか、心にでるか。

このように書くととても簡単なように思える。しかし、実際はより複雑だ。

先日、若い女性の方が来院された。
「あたし骨盤がづれていて、足の長さが違うし、下腹部もぽっこりでているし、二の腕も太い。」
それが、痛みやなんらかの問題を起こしていることはないようだ。
「治療してくれないの?」

不必要な治療はやらないし、新たな痛みを創ってしまう可能性がある。
それでは、一体、何を治せば良いのだろう?しばらく会話を続けてみる。

「あたし病んでるの!」「あたし病んでるから!」
 どうして病んでるって思うの?という問いに対しては「わからない」

私のところにくるということは何かしらの助けが必要だから来たはず。

ある会話をきっかけに、いろいろな話しをし始める。
過去。現在。未来。「壮絶な過去と現在」 本人は笑いながら話す。

もう痛さも感じない。疲れも感じない。漠然と病んでいると感じている。
ただ頑張る身体と押し潰した心。

心と身体の距離が遠い。自分が自分でわからない。

頭を触るとまるで硬い石のよう。薄い金属の玉を触っているみたい。
動きは全くない。

しばらくすると動きだす頭。そして、溢れる涙。

落ち着くと普段は薬を飲まずには寝られない彼女が眠りに落ちる。

治療が終わると「あたしって疲れていたんだ」とポツリ。

心と身体が少し近づいた。少し痛みも感じ始めるかもしれない。

心と身体の距離が遠い人は意外と多い。
それを防ぐためには、痛みを尊重し、耳を傾けてあげることだ。

身体の痛みも心の痛みも自分の生きかたの方向が自分に合っていないことを教えてくれる。

痛みはいつでも私たちを助けてくれる。痛みを感じたらがっかりせずに、どうして痛みがあるのかを考えるようにすれば痛みは自然に消えていく。

疲れたり、痛みがあるときほど自分の身体や心の声に耳を傾ける時間を作ってみてはいかがだろう?

2014年5月10日土曜日

第48回:Pain Science

Pain Science。
かれこれ50年以上研究されているエリア。注目度は低いものの、最近、良く耳や目にするようになってきた。

海外のオステオパスのフォーラムでも頻繁に取り上げられる話題。

痛みは脳からの情報で、身体からの情報ではない。
痛みとは、身体からのインプットではなく、脳からのアウトプット。

だから脳を治療する必要がある!

慢性の痛み。
通常の組織の修復期間をすぎても治らない。そして、再負傷するわけでも、持続的な刺激があるわけでもないのに痛みが続く。

治療院に通っている人のほとんどがこのような痛みを抱えているのでは。

いままでは、姿勢が悪い、コアの筋力が弱い、ヘルニアなどを痛みが続く原因にしていたが、それらを明確にサポートすようなエビデンスは存在しない。

逆に、まったく痛みがない人をMRIをとったらそのほとんどの人が何かしらの組織の損傷が見つかったという研究報告もある。

では、痛みを感じる人と痛みを感じない人の違いって何?

そうです。痛みに対する脳の認識の違いです。

凄い痛さを問題ないと考える脳と、少しの痛さを問題と考える脳。

痛みのメカニズムはとても複雑。ここではそれを説明したいわけではありません。

大切なのは、どうして脳がそのように認識してしまうかということ。

簡単な例。
仕事に行く。毎日嫌な仕事をしなくてはならない。嫌な人と会わなくてはならない。
そして、仕事にいくと肩が痛くなる。腰が痛くなる。

この2つのことが長時間起こり続けると、脳はこの2つの本来関係のない事象を結びつけてしまう。
そして、いつの間にか仕事にいくと肩や腰が痛くなる。ひどくなると仕事のことを考えると痛くなる。ようになってしまう。

お休み中は快適。仕事や学校に戻ると痛くなる。こんな経験あるでしょうか?

患者さんが「いままで痛かったのに、院に来て先生の顔を見たら痛くなくなった」というのも脳の認識によって起こる。
痛みに対して適正な行動がとられたという安心感が脳をリラックスさせる。

では、脳が痛みを起こしているのをどうやって治すの?
教育しかありません。

最近流行りのコアマッスル。
筋トレをしたという安心感。筋トレによる新たな刺激。などにより脳の認識に変化が起こる。
別に筋肉が付いたからでもなんでもない。筋肉がしっかりしていなくても痛くない人は星の数ほどいる。

でも、運動は脳の認識に変化を起こすのにとても良いように思う。

ヒーリングバックペインのDrサーノは、患者さんを集めてメカニズムを説明したり、経験談を話したりすることによって多くの人を治している。患者さんを触ることは治癒を遅くするとも言っている。
読んだり話したりするだけで治るのだから触る必要はない。
これも脳の認識を変えることによって症状を改善させる。読んだり話したりするだけなので身体は何も変わっていない。

確かに、治療もやり方を間違えると脳の間違った認識を助長させてしまい、患者さんは治療院なしでは生活できなくなってしまう。

こういう不幸な患者さんを増やさないためには、教育しかない。治療して教育!
メカニズムを教えてあげることだ。説明して、読んでもらって、気が付いてもらう。
自分で気が付けば、よりスムーズに脳が変化する。

これからは、身体だけでなく脳を治療する時代だ。
Pain Science。
3年後にはコアトレーニングのように日本でも普通に話されるようになっているでしょう。

最近、患者さんからのメール相談が増えている。毎日返信するのが楽しい。
メールでも悩みを打ち明けて頂けるのはありがたいことだ。

2014年4月3日木曜日

第47回:人生が変わる!

OA関節の治療。
最近とても大切にしている。治療の最後にはかならず調整するようにしている。

フライマン先生によると、新生児の7~8割は後頭骨のなんらかの障害があるようだ。
しかし、そのほとんどの場合、泣いたり、母乳を飲んだりして自然に矯正されていく。

私の感覚では、成人の3~4割は左右どちらかのOA関節に障害が残っているように思う。特に右側が多い。

後頭骨を調整することはとても重要な意味を持つ。
脳神経、中枢神経系、自律神経系、血管。
身体を流れるエネルギーの流れも変えることができる。
できることなら人生の早い段階で障害を取る方が望ましい。

つい先ほど、ある患者さんのお母さんから連絡を頂いた。
その患者さんは、生後6か月の赤ちゃんである。
生後数日、授乳中にてんかん発作が起こり、その後も月1回くらいの頻度で起こっていた。

妊娠前から出産前後とお母さんを治療していたこともあり、生まれたばかりの大切なお子さんの治療を任せて頂いた。

側頭骨の不安定な動きとともに右OA関節に凄い緊張を感じる。
出産が大変だったことを物語っているようだ。

ゆっくり、ちょっとずつ取り除いていく。
間違えると発作が起こりそうな感じがある。

そんななか2回前の治療の時に、その緊張がスゥッと抜けていく感覚を得る。

その直後から明らかに首の動きに変化が現れる。
頭の動きにも変化が現れる。
治療中に目が合う回数も増えてきた。

前回の治療でもOA関節はスムースに機能していた。

これはいけるかも。

先ほどの連絡は、本日お子さんの脳波を再検査したところ、てんかん波が消えていたというものだった。

久々に鳥肌が立った。嬉しい。

この6カ月間、ご家族の方の心配は大変なものだったろう。
特に、お母さんは産後直ぐから病院を行ったり来たり。

いつ治るともはっきり分からないなか通い続けて頂いた。
本当に良くなるのか?などの心配もあっただろう。
それでも、雨の日も、雪の後も、発作が出た後も、赤ちゃんを抱っこして通ってきてくれた。

信じて頂けることは本当にありがたい。

薬を使わずにこんな素敵なことができる治療法がオステオパシー以外にあるだろうか?
オステオパシーって凄いんです!

先日、患者さんを紹介頂いた。その患者さんは、紹介者の方から「人生が変わるから行ってごらん!」と言われたから来た!と言っていた。

「人生が変わる!」
「はい、変えさせて頂きます!」、、、そんな凄いこと私にはできません。

変える選択ができるのは唯一患者さんだけ。これは大人でも子供でも同じ。
私ができることは、「 その人が持っている(潜在)能力を最大限に高めることを助けること。」
高めることを助ける。高めることも自体も患者さんの身体に行ってもらう。
でも、(潜在)能力が高まると良いほうに変えようと思えたり、良い選択ができるようになるのかも。

本当に良い仕事。

オステオパシーって本当に凄いんです!

オステオパシーの無限の可能性を爆発してやる!

2014年2月3日月曜日

第46回:手技

オステオパシーには、星の数ほど手技がある。こうしている間にも新しい手技が生まれているだろう。その手技の多種・多様さがオステオパシーの最大の特徴といえ、他の手技療法と最も異なるところになる。

その手技の多様さゆえにオステオパシーを「パッと」イメージするのは難しい。

カイロであれば「ポキッ」、鍼であれば「鍼自体」、灸だったら「熱い」。
指圧だって「指」、柔整は「外傷」。オステオパシーは、、、、

オステオパシー=?!
100人のオステオパスがいれば100人違うことをする。これといった型がない。


オステオパシーとはその原則に従って治療することで、医療哲学なんです。

この原則をいかに自分なりに解釈して治療していくかが、オステオパシーなんです。
患者さんへの説明に時間が掛かります。

では、今回のテーマ「手技」。

私が一番よく受ける質問。

「この手技はどういうときに使うんですか?」
学校でたくさんの手技を教わったけど、いつどこで使ったら良いかわかりません。

この質問。答えはシンプル。

患者さんの症状をオステオパシー的にどのように診断したか。 そして、それをどのように治すか。

硬い→柔らかくする。
動かない→動かす
伸びない→伸ばす
詰まる→通す
弱い→強くする

その時に、最適と思われる手技を選択し用いる。それだけ。
それで意図した効果がでれば良い。でなければ、診断が違うのか、手技の選択が違うのか、手技の方法が違うのかを見直す。

そして、大切なことがもう一つ。
「迷わないこと」

診断を迷う。手技の選択を迷う。手技の方法を迷う。
もちろん効果がでるのに時間が掛かっているだけのときもある。
迷わずに待てるのか。

いかに自分を信じるか。自分の感覚を信じれるか。

頭蓋とかの小さな動きだけでなく、触診とかでも指先は感じている。ただ、自分の迷いがその感覚を消している。そういう時、だいたい口から出る言葉は「難しい」。

これは裏を返すと、「自分を信じるのが難しい」と言っているのと変わらない。
その手技やその背景を信じているのかにも通じる。

したがって、「治療は自己表現」。今の自分以上の治療はない。

迷わないように練習し、勉強する。

 野球やサッカー選手とかと変わらない。バッターボックスで迷っている。PKを打つ前に迷う。
お相撲さんが立ちあいで迷う。料理人が味付けに迷う。

手技は決して裏切らない。でも、手技を軽視すれば必ずしっぺ返しを頂く。
手技を使いこなすには、自分が成長するしかない。
迷わない自分。自分を信じる自分。

ATスティルが、「オステオパシーをやるなら解剖を勉強しろ、そして、解剖を治療に活かせ、すぐに活かせなくてもいつか必ず役に立つ。ただ、あなたは100年くらいしか生きられないということも覚えておけ(ちょっと乱暴な訳)」と言っている。

人生長くない。そろそろ人生折り返し。もう、折り返しているのかもしれない。

自分はまだまだ。なにひとつ成し遂げていない。
治療を通して成長を感じれると嬉しい。
オステオパシーの原則の理解を深くする。

 治療家でいれて幸せだ。
オステオパシーの無限の可能性を爆発させてやる!