2013年4月14日日曜日

第37回: Diagnosis (診断)とPrognosis(予後)

オステオパシーの特徴には診断と予後がある。ほかのところは、分からないが 私が通っていたビクトリア大学は筋骨格系の治療に力を入れていたので必然的に診断と予後にも正確性が求められた。

私が、オーストラリアに行って一番良かったと思えることは、この診断と予後の導き方を理論的に教えてもらったことだ。どんな手技よりも良かったと思っている。そして、私が一番苦手だったのも、この診断と予後だ。というのも、日本にいる時は、そのような発想で治療していたことがなかったからだ。なんとなく患者さんの症状には対応するが、どの組織に問題があり、どのような過程を経てどのくらいで治って行くかなど考えたことはない。いつの間にか、長く通っている患者さんを良い患者さんと考えたりもしていた。結局は、集客はできても、治してはいなかったのだと思う。

これは、あくまで私の勝手な考えだが、日本で良い治療と言えば「一発で治す治療(直後効果が強い治療?)」と考えられているように思う。 したがって、何をどのように治療しているのかが見えずらいし、当然、患者さんも分かりずらい。でも、日本の人(患者さんも術者も)は、そのミステリアスな部分を比較的好むように思う。同じような疑問を持って私のところにくる外国人の患者さんには、「文化的な相違では?」と説明する。でも、治療に100%正確な答えがない事を考えるとどちらでも良いように思う。実際、一発で治すというのは、心の問題(プラシーボ)を解決している側面が強いように思う。

話を本題に戻すと、オステオパシーでは、「良い治療計画は、良い診断より導かれる!」と考えられている。これは、世界共通なのではないかと思う。
問診が終わった時点で、最低でも3つくらい鑑別診断がでていることが、理想的だ。もし、鑑別診断が出てこなければ、問診が不十分ということになる。何が問題で症状になってきているのかが、分からない間は治療をしてはいけない。これは、患者さんのためでもあるし、自分自身のためでもある。

ここに至るためには鑑別診断を行うための知識、そして、それを見分ける問診力が必要になる。

そして、実際に患者さんを検査して診断まで落とし込む。これは、ただ単に悪いところを選ぶのではなく、同時に、原因、関連性、その他の複合的な要素を含んで考える。したがって、診断名は、A4で3~5行くらい長いものになる。

大学の付属クリニックでも、先生と治療法のことで話すことはほとんどないが、この診断名に関しては、毎日長いこと話し合う。結局、診断するまでの筋道がしっかりしていないと、きちんと説明することができない。そこを突っ込まれると、必死に考えながら説明することを求められるし、先生が言っていることが、違うと感じた場合には、どうして違うのかを理論的に説明することを求められる。筋道が通っていれば、先生もこちらの意見を尊重してくれる。オーストラリアの人は、議論好きなので嬉しそうに話していたが、私には、この時間がとても辛かった。

診断がでて、患者さんにある程度の効果がみられれば、あとは、どのくらいで治って行くかだ。それが予後になる。患者さんも自分がどのように治っていくのかをはじめの段階である程度分かる。

前にも書いたが、骨折では、治癒期間があるからと言って一発で治そうとしないのに、筋肉やその他の軟部組織の時だけ、勇猛果敢に挑んでいくのは面白い。もし一発で治るなら、誰がやっても一発で治る。 それが「オステオパシー」だ。そこにトリックは必要ない。

先日も、他の先生から「このような患者さんがいて、全然治らないのだけど、どうすればいい?」という連絡を頂いた。この様な質問は、とても重要だ。具体的にはあまり書くことができないが、これは、まず診断までの筋道ができていなかった。したがって、何を治療しているのか。そして、それはどのくらいで治るのかが明確でない。いつも一発でを期待するので、ある程度治療して効果が見えないと不安になる。

こう言う時ほど、はじめに戻って、話を聞き。原因、部位、体質、体調などなどいろいろ含めて総合的に判断しなおすべきだ。あるいは、自分で治せるのかも考えなくてはならない。

いろいろな問題を抱えている患者さんが多いので、いつも、いつも綺麗に診断まで落とし込めるわけではない。 そういうときは、筋道を2つ、3つ作ればよい。そして、患者さんが来院して、治療から自立するまでにどのくらい掛かるか、特に、筋骨格系の治療であればイメージできたほうが良い。私は、筋骨格系以外の治療の場合は、治療から自立する時期は、患者さんに決めて貰うようにしている。あくまでも、自立は促すが。

柔整の保険制度の変更があり、3か月以上の治療に影響がでてくるようだ。しかし、一般的な筋骨格系の問題は、だいたい3か月以内には解決する。それ以上掛かる場合は、その他の要素も考えなければならない。そういった意味では、制度と内容があってきているのかもしれない。むやみに身体をさわる行為は、逆に患者さんを増やすことになる。治しているのか、増やしているのかがわからない。これは、薬などもそうかもしれない。依存を生んではいけないのだ。

診断と予後をやることによって、患者さんの医療からの自立を助けたい。無病息災ではなく、有病息災でも良いのだ。痛みや不調に負けることなく、人生を楽しく過ごして頂きたい。




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