私が、オステオパシーを学ぼうとしたきっかけは、「治すってなんだろう?」という疑問を解決したかったからだ。
それまでの自分は多くの患者さんを集めることはできても、治すことはできていないのではないかと強く感じる時期があった。
このことに関しては、オーストラリアで若い先生とベテランの先生のある会話がとても印象に残っている。
若い先生が、私は常に6週間先まで予約が埋まっているという話をしたのに対し、ベテランの先生は、それはきちんと治していないからで、商売のために何かを操作しているんだと言った。
私のクラスメートはみんな若く仕事の経験も浅かったので、若い先生をうらやましそうに、そして、ベテランの先生は何を言っているのか?!という顔をしたが、私にはこの会話の意味が良く変わった。別にどっちが良いとかの話しではない。それぞれの治療に対する考え方が違うだけだ。
結局、このようにいろいろな考えがあるので、オーストラリアでも「治癒」に対する明確な答えは見つけることが出来なかった。正確には、「自分に合った治癒の考え方」には出会うことがなかった。
それが、先日アメリカに行ったときに「自分に合う考え方」に出会うことができた。セミナーの会場となったアメリカ、サンディエゴにあるOsteopathic Center for Babies and Familyの入り口に掲げられていた看板にその答えはあった。
「At the Osteopathic Center for Children, Our mission is to Help Children & their Families Reach thier FULL Potential」
「子供とその家族がかれらの持っている最高のポテンシャルに到達するのを助ける!」
多分、これを見ても何も思わない人のほうが多いのかもしれない。でも、私はこれを見た瞬間に背中に電気が走るような衝撃を受けた。そして、思わず「すげぇ!」って言ってしまった。
「これだ!!」治癒ってこれなんだ。
ひとそれぞれのポテンシャル。そのひとが持っている最高のポテンシャルに到達する手伝いをする。
だから、我々は「道案内人」で良いのだ。あるところまでは連れていくことができても、最後は自分で越えていかなければいけないことがある。最後の門は自分でまたがなくてはいけない。
この10年くらいずっとこのことを考えていた。やっと出会ったような気がする。
でも、10年くらいで出会えたのはラッキーなのかもしれない。
あとはこれを実行していくだけだ。迷いはない。
赤ちゃんのポテンシャル、妊婦さんのポテンシャル。障害を持っている人のポテンシャル、それぞれの人のポテンシャルを感じ、引き出す。簡単ではない。でも、できる。
そうすることで、自分のポテンシャルも引き出せる。
やっぱりオステオパシーをやって良かった。
日本人初の鍼灸、柔整の国家資格を有する海外オステオパシー医師。 東京、神田でATSUMI TOTAL CARE-osteopthyを開院。 オステオパシーで人生が変わる! 痛みや不調は生き方の間違いを教えてくれている。 心は人生の原動力。 身体と心のバランスを調整して、治療の必要ない人生をお手伝い。
2013年9月19日木曜日
2013年9月6日金曜日
第42回:クラニアルオステオパシー
FaceBookにオーストラリアとイギリスのオステオパスを中心としたフォーラムがある。そのなかでいつも議論の中心になるのが「クラニアルオステオパシー(頭蓋オステオパシー)」についてである。
どうして議論の中心になるかというと、その「エビデンス」が乏しいからである。
頭蓋オステオパシーの創始者Drサザーランドは、頭蓋もそれぞれの縫合で動きがあり、肺呼吸と同じように固有の呼吸リズムを有していると説いた。彼は、彼の一生をかけてその動きやメカニズムを証明しようとしたが、それはついに叶わなかった。
現在、縫合に動きがあるというのは認められているが、その呼吸メカニズムに関しては証明されていない。
そのメカニズムが明瞭でない手技を学校では教えるべきではないという意見も出てきているし、近い将来そうなるのではないだろうか。学校を卒業して勉強したい人だけが勉強するべきというのが大方の意見だ。さびしい限りだ。
学生のころも頭蓋が好きとか言っているのは私くらいなもので、生徒たちだけでなく先生たちも頭蓋はプラシーボか副交感神経系を優位にしているだけだという意見が多かった。
頭蓋オステオパシーは、オステオパシーとしては認められないという意見まである。これは、Drバレルの内臓マニピュレーションも同じように言われている。その手技が効果をだしているとする「エビデンス」が乏しいのだ。プラシーボとの違いを明確に示すことができない。
日本人には比較的受け入れやすい頭蓋治療。西洋では全く違う捉えられ方をしている。その背景には、日本人は論文にアクセスしずらいので「エビデンス」を気にしない傾向にあるからなのだろうか。それとも、文化的に白・黒はっきりしないものを受け入れやすい人種だからなのだろうか。
「エビデンスベースドメディスン」とはなんなのだろう。
《「科学的根拠に基づく医療」の意》医師の個人的な経験や慣習などに依存した治療法を排除し、科学的に検証された最新の研究成果に基づいて医療を実践すること。1990年代に提唱され、西洋医学の医療において重要視されている。(デジタル大辞泉)
大学の授業で、オステオパシーの研究で有名な先生が「エビデンス」を追求することでオステオパシーの枠を狭くしてしまうのではないかと、オステオパシーの未来を危惧していた。
他のベテラン先生は、自分で効果があると思った手技は使うし、「エビデンス」は気にしないと言っていた。
東洋医学ではどうなのだろう。「気」「経穴」「経絡」というものに「エビデンス」というのもが存在するのだろうか。
プラシーボを完全に排除して研究できるだろうか。
同じように手技をしても、人によって効果のでかたが違ってしまうのではないだろうか。これは経験年数だけで埋まる問題ではないような気がする。
どうなのだろう。
「エビデンス」なんて関係ないって思ってしまってはいけない。治療家としては、常に新しい情報を取り入れていく必要はある。義務であろう。
その結果、自分が効果があると思っていた治療に「プラシーボ以上の効果がない」という結果が出た時にどのように感じるのだろう。自分が効果をだしていると思っていた治療が、実はプラシーボ効果なのだ。
私は鍼灸も頭蓋オステオパシーにも大きな効果を感じている。時には、自分の想像以上の効果が得られる時もある。
未知なる部分が多くあるのにも魅力を感じる。そこには無限の可能性があるからだ。
7月にアメリカにセミナーに行った時も、Drフライマンが「私は頭蓋だけを治療しているのではなく、頭蓋を通してオステオパシー的(全身的)に治療している」と言っていた。
この感覚が大切なのではないだろうか。この発想がないと、頭蓋オステオパシーはオステオパシーではないとかなってしまう。
手技は残っても、創始者の想いまでは伝わらない。
こうなったら自分で「エビデンス」をみつけていくしかない?!
どうして議論の中心になるかというと、その「エビデンス」が乏しいからである。
頭蓋オステオパシーの創始者Drサザーランドは、頭蓋もそれぞれの縫合で動きがあり、肺呼吸と同じように固有の呼吸リズムを有していると説いた。彼は、彼の一生をかけてその動きやメカニズムを証明しようとしたが、それはついに叶わなかった。
現在、縫合に動きがあるというのは認められているが、その呼吸メカニズムに関しては証明されていない。
そのメカニズムが明瞭でない手技を学校では教えるべきではないという意見も出てきているし、近い将来そうなるのではないだろうか。学校を卒業して勉強したい人だけが勉強するべきというのが大方の意見だ。さびしい限りだ。
学生のころも頭蓋が好きとか言っているのは私くらいなもので、生徒たちだけでなく先生たちも頭蓋はプラシーボか副交感神経系を優位にしているだけだという意見が多かった。
頭蓋オステオパシーは、オステオパシーとしては認められないという意見まである。これは、Drバレルの内臓マニピュレーションも同じように言われている。その手技が効果をだしているとする「エビデンス」が乏しいのだ。プラシーボとの違いを明確に示すことができない。
日本人には比較的受け入れやすい頭蓋治療。西洋では全く違う捉えられ方をしている。その背景には、日本人は論文にアクセスしずらいので「エビデンス」を気にしない傾向にあるからなのだろうか。それとも、文化的に白・黒はっきりしないものを受け入れやすい人種だからなのだろうか。
「エビデンスベースドメディスン」とはなんなのだろう。
《「科学的根拠に基づく医療」の意》医師の個人的な経験や慣習などに依存した治療法を排除し、科学的に検証された最新の研究成果に基づいて医療を実践すること。1990年代に提唱され、西洋医学の医療において重要視されている。(デジタル大辞泉)
大学の授業で、オステオパシーの研究で有名な先生が「エビデンス」を追求することでオステオパシーの枠を狭くしてしまうのではないかと、オステオパシーの未来を危惧していた。
他のベテラン先生は、自分で効果があると思った手技は使うし、「エビデンス」は気にしないと言っていた。
東洋医学ではどうなのだろう。「気」「経穴」「経絡」というものに「エビデンス」というのもが存在するのだろうか。
プラシーボを完全に排除して研究できるだろうか。
同じように手技をしても、人によって効果のでかたが違ってしまうのではないだろうか。これは経験年数だけで埋まる問題ではないような気がする。
どうなのだろう。
「エビデンス」なんて関係ないって思ってしまってはいけない。治療家としては、常に新しい情報を取り入れていく必要はある。義務であろう。
その結果、自分が効果があると思っていた治療に「プラシーボ以上の効果がない」という結果が出た時にどのように感じるのだろう。自分が効果をだしていると思っていた治療が、実はプラシーボ効果なのだ。
私は鍼灸も頭蓋オステオパシーにも大きな効果を感じている。時には、自分の想像以上の効果が得られる時もある。
未知なる部分が多くあるのにも魅力を感じる。そこには無限の可能性があるからだ。
7月にアメリカにセミナーに行った時も、Drフライマンが「私は頭蓋だけを治療しているのではなく、頭蓋を通してオステオパシー的(全身的)に治療している」と言っていた。
この感覚が大切なのではないだろうか。この発想がないと、頭蓋オステオパシーはオステオパシーではないとかなってしまう。
手技は残っても、創始者の想いまでは伝わらない。
こうなったら自分で「エビデンス」をみつけていくしかない?!
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