2013年9月6日金曜日

第42回:クラニアルオステオパシー

FaceBookにオーストラリアとイギリスのオステオパスを中心としたフォーラムがある。そのなかでいつも議論の中心になるのが「クラニアルオステオパシー(頭蓋オステオパシー)」についてである。

どうして議論の中心になるかというと、その「エビデンス」が乏しいからである。

頭蓋オステオパシーの創始者Drサザーランドは、頭蓋もそれぞれの縫合で動きがあり、肺呼吸と同じように固有の呼吸リズムを有していると説いた。彼は、彼の一生をかけてその動きやメカニズムを証明しようとしたが、それはついに叶わなかった。

現在、縫合に動きがあるというのは認められているが、その呼吸メカニズムに関しては証明されていない。

そのメカニズムが明瞭でない手技を学校では教えるべきではないという意見も出てきているし、近い将来そうなるのではないだろうか。学校を卒業して勉強したい人だけが勉強するべきというのが大方の意見だ。さびしい限りだ。

学生のころも頭蓋が好きとか言っているのは私くらいなもので、生徒たちだけでなく先生たちも頭蓋はプラシーボか副交感神経系を優位にしているだけだという意見が多かった。

頭蓋オステオパシーは、オステオパシーとしては認められないという意見まである。これは、Drバレルの内臓マニピュレーションも同じように言われている。その手技が効果をだしているとする「エビデンス」が乏しいのだ。プラシーボとの違いを明確に示すことができない。

日本人には比較的受け入れやすい頭蓋治療。西洋では全く違う捉えられ方をしている。その背景には、日本人は論文にアクセスしずらいので「エビデンス」を気にしない傾向にあるからなのだろうか。それとも、文化的に白・黒はっきりしないものを受け入れやすい人種だからなのだろうか。

「エビデンスベースドメディスン」とはなんなのだろう。

《「科学的根拠に基づく医療」の意》医師の個人的な経験や慣習などに依存した治療法を排除し、科学的に検証された最新の研究成果に基づいて医療を実践すること。1990年代に提唱され、西洋医学の医療において重要視されている。(デジタル大辞泉)

大学の授業で、オステオパシーの研究で有名な先生が「エビデンス」を追求することでオステオパシーの枠を狭くしてしまうのではないかと、オステオパシーの未来を危惧していた。

他のベテラン先生は、自分で効果があると思った手技は使うし、「エビデンス」は気にしないと言っていた。

東洋医学ではどうなのだろう。「気」「経穴」「経絡」というものに「エビデンス」というのもが存在するのだろうか。

プラシーボを完全に排除して研究できるだろうか。

同じように手技をしても、人によって効果のでかたが違ってしまうのではないだろうか。これは経験年数だけで埋まる問題ではないような気がする。
どうなのだろう。

「エビデンス」なんて関係ないって思ってしまってはいけない。治療家としては、常に新しい情報を取り入れていく必要はある。義務であろう。

その結果、自分が効果があると思っていた治療に「プラシーボ以上の効果がない」という結果が出た時にどのように感じるのだろう。自分が効果をだしていると思っていた治療が、実はプラシーボ効果なのだ。

私は鍼灸も頭蓋オステオパシーにも大きな効果を感じている。時には、自分の想像以上の効果が得られる時もある。
未知なる部分が多くあるのにも魅力を感じる。そこには無限の可能性があるからだ。

7月にアメリカにセミナーに行った時も、Drフライマンが「私は頭蓋だけを治療しているのではなく、頭蓋を通してオステオパシー的(全身的)に治療している」と言っていた。

この感覚が大切なのではないだろうか。この発想がないと、頭蓋オステオパシーはオステオパシーではないとかなってしまう。
手技は残っても、創始者の想いまでは伝わらない。

こうなったら自分で「エビデンス」をみつけていくしかない?!

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