2013年10月17日木曜日

第44回:自己表現!

今年になりオステオパシーを教える機会を多く頂いている。
日曜日は、2014年の年末までほぼ埋まっている。本当にありがたいことだ。

まだまだ小さなムーブメントだが、いずれ大きな動きになって欲しい。最終的には、鍼灸や柔整と同じくらいの認知度、地位にするのが目標だ。教育機関、学位など制度としても整えていきたい。
オステオパシーほど筋骨格に特化している治療法はないのではないだろうか。日本の柔整・鍼灸の先生にも抵抗なく取り入れてもらえるだろう。

いまの日本のオステオパシーのようにアンダーグラウンドの活動ではだめだ。誰がどこでなにをやっているのかが全くわからないし、拡げるというよりはそれぞれの枠に囲い込むという印象のほうが強い。そこにいる人だけが優越感を感じている。オステオパシーの断片しか伝わっていないような気がする。日本のオステオパシーの形を明確にして世界に発信していくようにならなくてはだめだ。いつまでの世界のあちこちから先生を呼んでセミナーをありがたがっているようでは進歩はない。

オステオパシーは全くスペシャルな手技ではない。手技だけならだれにでもできる。体格、性別を問わずにできる。この長所が全く活かされていないのではないだろうか。

きちんとオステオパシーの原則に従えば、それぞれの施術者、それぞれの患者さんに合った治療法・手技を選んで治療を進めることができる。

話しがそれてしまった。「自己表現。」

私が教えに行かせて頂くときに大切にしているところが一つある。それは、その会社や先生の治療に対する考え方、「理念」である。

「手技や知識を向上していき、その結果、より多くの患者さんを幸せにする。」

当たり前のようで、意外とこのように考えている人に会うことは少ない。ひどい時は、「手技を勉強しても患者数には関係ない。」とまで言われてしまう。これは、手技の本質を全く理解していない。

私は、「治療は自己表現!」と言っている。

知識を増やし、手技の精度を高める。これは自己を表現する方法でしかない。これだけでは十分ではない。

もちろん、その方法が多岐にわたり、精度が高いほうがよい。でも、表現には受け取る人がいる。その受け取り側がいて初めてその表現は活かされる。

その表現を受け入れてもられる、受け入れさせる。それを可能にするのが「自己」である。

結局、その方法(手技・知識)を磨いて行きつつ、自己も高めていかなければならない。
このバランスが悪いと、患者さんは、我々の表現を否定する。

いっぱい手技を知っている、知識が豊富。だけど患者さんには受け入れられない。これで手技が否定されても困る。

同じ手技でも効果に差がでるときがある。もちろん手技の精度もあるが、表現の仕方にもよる。でも、正解はない。自分が結果をどのようにとらえるかだ。

先日、「手技は大切、だが、一生懸命にやることはもっと大切」のような文をみた。
これは、一見もっともそうだが、実は全く違う。これでは手技は活きない。

「一生懸命な自己が、自分の持っている最高の手技」をやって初めて意味をなす。

どっちが凄いとか、大切ではない。両方とも欠かせない要素なのだ。これが「自己表現」だ。

年齢、経験、その時の体調などさまざまな要素があるが、その時々で、その時の自己を表現する。

治療はみんなが同じである必要はない。同じ手技でも全く同じにやる必要はない。
自分で消化して、自分なりに表現した方がはるかに素晴らしい。

知識も、手技も、自己もまだまだ未熟だ。冷や汗をかく毎日。
初めての症状、初めての手技、未知なる感覚。初めてのことに日々出会えることに感謝。

世の中には、いろいろな治療法がある。それぞれの創始者は、自分で考えその手技を生みだした。自分がその発想までいけば、自分で生み出せる、、、はず。

教えられて満足してはだめだ。逆に発想を止めてしまう。

やっぱり治療は、「自己表現。」 自分を爆発させるぜ!


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