2014年10月13日月曜日

第53回:Winter School in Melbourne

先週末メルボルンで行われたセミナーに参加してきた。
これは、卒後5年以内の先生を対象に定期的に行われている。なぜ5年以内かの理由はのちほど。

40名程度の参加者がいたが、半分がビクトリア大学の卒業生、あとの半分がRMITの卒業生という構成。同級生、先輩、後輩もいたので特に緊張はない。むしろリラックス!

オーストラリア独特のゆったりした感じでセミナーは進行していく。大学の授業を思い出す。懐かしい。日本からセミナーのために来たということで、わざわざ紹介されとても歓迎してもらえた! 今回は2学年上でシンガポール人のオステオパスも来ていた。アジアのオステオ事情についても話ができた。オーストラリア人もアジアのオステオ事情には興味があるみたい。

今回のセミナーのテーマは「スティルテクニック」。

オステオパシーの創始者ATスティルが使っていた手技とその原則。
本来、創始者の手技なのでもっと記録が残っていてもよさそうなものだが、そのほとんどが火事などで消失してしまっている。

スティルが学校を始めた当初は、学校でも教えていたようだが、その難解さからいつの間にかコースからなくなった。それにかわるようにHVLAなどの直接法がメインに教えられるようになる。 だが、スティル自体は、HVLAを授業で教えることには反対していたようだ。

こう考えてみると、創始者スティルの希望の多くはいつのまにか消えてしまっているのかも。いつの時代も創造者の想いを後世に伝えることは難しのだろう。三代続く会社があまりないのもこうした背景によるものだろうか。

オステオパシーも薬を使うようになり、エビデンスに乏しい手技は排除されていく。徐々に他の手技療法とのボーダーもなくなってきているし、アメリカでは手技そのものを用いる先生も少なくなっているようだ。政治や商売の犠牲になるその純粋性。

このセミナーは、大学教育の間に失ったであろう純粋性を取り戻すべく企画されているのだと感じた。したがって、卒後5年以内の先生に限定してるのだろう。「鉄は熱いうちに打て!」だ。オステオパスなのだからスティルの想いをきちんと理解しよう!本流は原点にあり。

日本のオステオパシーはこの点をどのように教育しているのだろう?十分な情報はあるのだろうか?

セミナーの内容はとてもわかりやすく、スティルの思想だけでなく、最新の情報もたくさん得ることができた。
先生たちは、みなとても情熱的だし、生徒もそれに負けずに情熱的!みんなプロフェッショナルとしての自分を確立している。

日本でもこのような環境をつくりたい。海外から多額のお金を使って講師を呼ぶのをありがたがっている時代がいつまでも続くことが良いとは思わない。海外のオステオパスからみると日本はアルバイトをするにはとても良い国だ。その国にしっかりとした教育制度がないことと、何よりもお金があるからだ。ATスティルが自分のテクニックを教えなかったのは、自分のモノマネをする人をつくることを嫌がったからだ。教えられることをありがたがりすぎると、そこからの思考が停止する。海外コンプレックスは終わりにして、それよりも日本のオステオパシーを確立することに力を注ぎたい。

セミナーの内容を全部お伝えすることは難しいので、セミナーのなかで心に残った2つの言葉を紹介したい。

一つは、エビデンスについて。
去年から、オーストラリアの全て大学で、頭蓋オステオパシーと骨盤METがカリキュラムから排除された。政治的な理由らしい。エビデンスがないと政府からの援助を受けずらいからだろうか。悲しい。
そんななかで今回のセミナーの主催者Maxwell先生が言った言葉がある。

「エビデンス、エビデンスというが、私が思うエビデンスとは、 治療をして患者さんがなんと言うかだ!!」。答えは患者が教えてくれる。

研究も大切ということに変わりはない。でも、手技療法において本当の意味での再現性などあるのだろうか。私は同じ手技を全く同じにできることなどない。例え、同じ患者さんにやったとしてもそれは難しい。1秒後には私も、患者さんも、周りの環境にも変化が起こる。

そして、もう一つは、ニュージーランドのオステオパスAnthony先生が言った言葉。
「Be Different. Be Very Different!!!」

君たちはカイロになりたいのか?
君たちはフィジオになりたいのか?

君たちはオステオパスだ!自分の長所をみつけろ。そして、それを信じろ!
自分が信じられる自分!

自分がやりたくない治療は断るぐらいの強気さだった。この言葉大好き!

創始者スティルも、薬の使用をやめ、手技で治療を始めた当初は家族からとても嫌がられた。
それまで仲良かった兄弟とも18年間、口をきいてもらえなかった。本を出版しようとしても家族に恥ずかしいからやめるように言われた。150年くらい前のアメリカでは手技療法というのがそれくらい特異なものだった。

それでも信念を貫いた。自分を信じて。

自分はオステオパスだ。何をすることによって人に影響を与えたいのだろう。
自分はどういう治療家になりたいのだろう。

オステオパシーとは哲学だ。オステオパスという人生だ。

身体は自然の摂理に従って動いている。自然に逆らえば当然病になる。

今回も本当に良い経験になった。それをただの経験で終わらさないように患者さんや日本のみなさんに還元していきたい。

今年もあと3か月!骨塾もあと5回!駆け抜けるぞ!

治療家に生まれて本当に幸せだ。


話は変わるが、日本の鍼灸や柔整も資格を維持させるために、年間いくつかセミナーを受講しなくてはいけないようにすればよいのではないだろうか。柔整がマッサージを中心に施術するようになり、過去の素晴らしい手技が凄い勢いで失われている。経験ある先生の多くがある程度までいくと施術すること辞めてしまう。日本でも商業によって純粋性が失われている。

経験豊かな先生が若手に教える機会を必然的に設けることができるし、お互いにいつまでもしっかり勉強していくことができる。経験ある先生は尊敬され、勉強する気がある若い先生も尊重される。結果的には業界の発展につながるのではないだろうか。

日本の柔整・鍼灸は学問・学術になろうとしている。国家資格を通すことを目標にするのではなく、きちんと勉強できる制度を整えていければ良いのではないだろうか。
 

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