2015年3月6日金曜日

第58回:留学動機

29歳。結婚して1年3か月。長男が3か月の時にオーストラリアに留学。
しばらく家族と離れての生活。
この時点では、大学に入れるどうかもわからない。

決まっていたのは、英語学校に通うことだけ。
英語も最後に勉強したのは大学1年生19歳の時。
当然、全く話せないし、聞き取ることもできない。
買い物すらままならない状態。

今考えると、良く行ったなと思う。
これは、物凄い動機があったはず!?

22歳。明治鍼灸大学を卒業と同時に東京に戻り(株)アミに入社。
他にも、大学の先生に紹介頂いた鍼灸院を見学に行ったのだが、鍼を打てるようになるまでに3年は掛かると言われ、見学途中に仮病をつかって早々に帰宅。
アミも2年くらいで辞めてもいいかな?!くらいの軽い気持ちで入った。

こんな感じなので最初の1年は全くまじめに仕事せず。ほぼ問題児。
飲んで。飲んで。また、飲んで。仕事中に休憩。

24歳。自分の先任者の先生が辞めるということで、院長の座が空席になり、たまたまそこにいた自分がやることに。そんな重要なこととは思っていなかったし、なんとなくできるかもと思っていた。甘い!

当時、その院は患者数が少なく、次の院が見つかり次第閉めるから、それまで頑張って!みたいな感じで任される。
入社して1年半の自分とベテランの受付さん。そして、日替わりのヘルプの先生。これは諦めムード満開。

でも、予想に反して、患者さんは増え始める。「?・?・?」
なんで増えるの?あれ?という毎日。結果的には、その院は閉めずに済み、いまも多くの患者さんに支えられている。
私もベテラン受付けさんも根が負けず嫌いだったのかも。

振り返ってみると、この仕事の面白さに気付いたのはこの時期だったように思う。
自分を頼りに来院してくれていると思うと、一生懸命にならずにはいられなかった。

それ以降、ざまざまな機会に恵まれ、27歳の時には最大6院の管理を任されるようになる。

この仕事に入って5年。6院30名くらいを管理する。
毎日、どこかの院で何かしらの問題が起こる。朝8時半には15件くらいのメールが携帯に入る。

仕事のウエイトも治療よりも管理・運営に移行していく。

28歳。そのような毎日に刺激を感じつつも、治療をしている時だけ何も考えなくて良いということに気が付く。
精神的に未熟だったのもあるが、人の問題を解決するのに疲労していたのかもしれない。
誰が辞める。仲が悪い。休みを変えてくれ。異動はやだ。 同世代の自分には対処法がなかった。

そんななか、「鍼でなんでも治そう」と思っていた大学生の頃の気持ちを忘れていることに気が付く。
根拠のない自信。

来患数は増やすことができるが、治すことはできているのだろうか?という疑問に答えがでなくなる。
「明日も来てください。」「いつ来れますか?」「また、明日!」

この頃、アミに手技ができる先生が増えてきてカイロやオステオパシーという言葉を耳にするようになってくる。
この時点では、カイロもオステもなんだかよく分かっていなかった。
手技なんてなくても治せるくらいに思っていたかもしれない。

では、なぜ、オステオパシーを選んだのかと言われると答えるのは難しい。
ただ、なんとなくオステオパシーには何かあるのでは?と感じたように思う。
「なんでも治す」ということに再びチャレンジすることができるのではと思った。

人を管理することに疲弊している時に、新しくチャレンジできそうなものに出会う。
選択は簡単だった。

当然、現実逃避的な要素もあったのだろう。

海外で勉強。映画でみる楽しそうなキャンパスライフ。
夢だけはドンドン大きくなる。現実がつらい分、妄想は膨らむばかり!

実際の留学生活は本当に辛く、厳しかった。大きくなった妄想は一瞬にして消えて行った。

「大学に入学して3日で日本に帰ろうって言ったのは忘れない」と嫁に言われる。
普段そういうことを言わない分、本当に帰るのかな?と思ったらしい。
しかし、30歳での留学。簡単に帰るわけにはいかない。大学の3年、4年のときは「行くも地獄、帰るの地獄」のフレーズばかりが頭に浮かんだ。

あとは、小さい頃から海外に行きたいと漠然と思っていたのもある。中学2年の時にアメリカに行った時の衝撃はいまでの忘れられない。同じ世界なのかと思った。
アメリカにはすべてがあるように感じた。しかし、選んだのはオーストラリア!

実は、24歳の時にアメリカでカイロを勉強しないかという話しを頂いたことがある。その時は、アミでの仕事が楽しかったし、英語を勉強するのがいやだったので丁重にお断りした。
この時、行っていたらどうなっていたのだろう。

「期を見る!」人生はタイミングだ。
絶好のタイミングで最高のことにチャレンジするようにできている。

こうやって書いてみると、楽な方、楽な方を選択して生きている感じがする。
自分に甘く、楽したい。困ったもんだ。

まとめてみると、昔からの海外に対するあこがれと、仕事が辛かったからみたいになってしまう。
オステオパシーはどこ行った?

エスケープ。新婚旅行に行ったときに泊まった島が、エスカパード島と言って(逃避)という意味を持つ島だった。なんてピッタリの島だと感じた記憶がある。

動機はそんなでも、結果的には「なんでも治す」にチャレンジすることができるようになった。

アクションを起こせば、結果は生まれる。
アクションを起こせる勇気をいつでももっていたい。

と、こんな感じで、はじまった留学生活でした。

















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