2013年1月23日水曜日

第33回:最善の医療

先日部屋の掃除をしていて、たまたま掴んだ本にとても興味深いことが書いてあった。
その本とは、大分前に読んだ文芸春秋なのだが、その中のあるコラムがとても気に入りとってあったのだ。すっかりそのことすら忘れていたのだが、掃除をきっかけにまた読むことができた。
やはり掃除はするべきだ。

「医療は格段に進歩した。だが、単純に信じてはいけない。自分にふさわしい最善の医療を患者1人ひとりが選ぶ時代になったのだ。」という書き出しから始まっている。

「いい医療とは何か? という問いには、結局のところ、人間が生きる目的はどこにあるのか、という問題に帰着すると思います。人間は生まれた時から、死に向かってまっしぐらに駆けています。~中略~元気で長生きできるかは人がもって生まれた身体や運に大きく左右されます。だから、常にどう生きるか、どう死ぬかを考えておくことです。」

このコラムはある医師と作家の対談を基に書かれている。
その中の医師の言葉。
一読すると無責任のように感じる人もいるかもしれない。しかし、私はこれはある意味では真意をついていると思う。

身長、体重、肌の色、髪の毛の量、体質などなど。どのように考えても全ての身体自体が平等に作られてはいない。
同じ心臓にも誤差はある。肝臓も、腎臓も、そして、脳も。
そんななかで地球上すべての人が120歳まで生きるなんてことはあり得ない。

しかし、われわれにはどのように生きるかを選択することはできる。逆にいうとそれしかできない。
健康に生きるか、それともそこには執着しないでいくのか?
結果はどうなるかはわからない。でも、どのように生きたかの違いは生まれる。

健康に生きる。

では、どのように健康に生きるのか?

まず、正しい情報を集めることだ。今はインターネットで検索するだけでも多くの情報を手に入れることができる。
自分の病気の原因はなにか?
医食同源。できているか?
運動。自分にあっているか?
身体に害になることってなにか?

個人、個人でこの様なことをしっかり行っていけば、実は医療などは緊急時や死に関係する時以外は必要なくなる。でも、極端すぎるのも良くない。
どこか悪くない人なんていない。一病息災。それでいいんだ。そして、その一病を見つめていくと、自分に必要なことが見えてくる。それが健康だ。

治療する側は、自分のため、患者さんのために正しい情報を集める。そして、 患者さんは、全て治療する側に任せるのではなく、少しづつ健康に興味をもち、正しいことを選んで行く生き方をしてくことが必然的に大きく膨らんだ医療費を縮小させ、本当に必要な事に使っていけるのではないかと思う。

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